2004年6月21日

日本語以外でコミュニケーションするということ

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先日のことです。
家に遊びに来たブラウンの瞳の方が「BB家での鍋パーティのお返し」に、「タコスパーティ」を開催してくれたので、お邪魔してきました。彼と同居人と私と、アジア方面旅行大好きの某女史の4名です。
彼はアメリカ人ですが、とても石川県を気に入っています。でも、もうすぐ希望jに反して米国に帰らなければなりません。これはこれで問題なので、また別の機会に触れたいと思います。今回はコミュニケーションの話について。
 私→英語は習ったぞ、海外出張に行かされた事あるぞレベル
 同居人→英語習ったかも...レベル
 某女史→海外旅行に良く行くけどアジア方面専門レベル
 某米国人→日本語歴5年レベル
この4人だと普段は日本語ベースで会話します。
だいたい、某女史は活発な性格なのか、積極的に英語で話しかけますが、私でも文法とか単語とか間違っているなあとかわかるけれど、某米国人とは、なんとなく文章での会話になります。文章の長さ的には長いです。
私と某米国人との会話になると、私との会話が、単語のやり取りになっていることが多いことに気がつきました。彼はホンダビートがとても好きなので、「ビートの写真をいっぱい見せるぜ」という私と約束もあったため、MTB!2004の画像を溜め込んだノートPCを持っていきました。スライドショーで写真を見ながら会話してたんですが、某女史との会話と比べて、会話の文章の長さが短い。下手すりゃYES/NOになってたかも(汗)。某米国人は英語で通じないとわかると辞書で調べて日本語で喋ってくれますが、私の方は、ボキャブラリーが貧困で、そういうわけにもいきません。会話の内容的にもマニアックな方面だったからかもしれません。けれど、
 某女子→間違っててもいいからガンガン行く
 私→正確に言いたくて短い単語の並びになりがち
という差があるのかなあと思います。

個人的な判定;ガンガン行ったほうの勝ち。

あ、同居人は、某米国人と他の人が英語で話しだすと、暇になって酔っ払いになりがちです。

Posted by BB at 2004/06/21 00:41
Category : diary

 
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