2013年8月13日

自己否定

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ちょっと長いのでfacebookじゃなくてブログに書こうと思う。
先日、写真投稿サイトへの投稿を一切停止した。その後で、写真も撮る友達と小浜に行く機会があり、自分が写真を撮る理由について考えた。とある本には、写真は誰かに見せるためとある。それはひとつの理由かもしれない。でも、そのほかにも記録用や、自分の能力を示すため、というのもあるんじゃないのかなと思った。写真投稿サイトでフューチャーされたり、特別な何かに選ばれたりすることは、自分の実力が上がったんじゃないのかと思えるような出来事だった。写真を撮り続けて、誰かに評価されるのは、とても嬉しい。でも「コレジャナイ」感が自分の心にずっとあったのだ。自己顕示欲を満たすことではあるけれど、それだけじゃないのって。

一緒に小浜に行った友達について、彼の撮る写真全般について自分は上手いと思うんだけれども「花はわからん」と本人が言っていた。彼の花の写真は少ないけれど綺麗で好き。だけど彼の心の中に「コレジャナイ」感があるんだろう。わからんけど。

今日は蜷川実花さんの写真展を見に行った。
蜷川実花さんの写真に対する自分のイメージは、色を引き立たせた圧倒的に鮮やかな色使い、自分のスタイルを確立させた第一人者で、花を撮ることが多かった自分にとって、とてもとても尊敬する存在だ。
写真展では、自分の期待するもの、これだ!というものを見つけられるようなことを期待して行った。でも残念な結果だった。蜷川さんの作品はとても素晴らしい。だけど、自分が撮りたいものではなかった。綺麗な花やポートレート。色合いやコントラスト、粒子の細かさ荒さ、どれも作品はたいへん素晴らしいと思う。画像を見るのとパネルで見るのは、テレビとスクリーン以上の差があるなーとは思った。写真展を見に来てよかった。だけど、自分に振り返ってみて、これは自分のやりたいものじゃない。

自分の写真の撮り方は、ずいぶん商業的な撮り方だと思う。ストックフォトで採用されて売れることを目的にしていたから。
カタログのような写真。そこには情緒はあっても無くても良くて、むしろ加工しやすければその方がいい。
これが自分の写真を第三者が見るときに感じることなんだろうなあと想像した。

そういうことを思っていたら、何か突然、自己否定の感情が強く働いてしまって、写真を撮り始めてからのこともそう、それ以前に自分が今までやってきたこと、これまでの何十年の生き方自体もどうなの?と考え始めてしまって、かなりブルーが入っている。

日曜日に花火を、昨日の夜中は流星を撮りに行ってみた。花火はまあまあ、流星はさんざんな結果。
今週の夏休み後半は旅行に行こう!と考えていた。見たことの無いものを見て、自分の考え方、探しているものが何か見つかるんじゃないのかなって思っていた。でも今はもう少し、自分の周りの物事を考えたほうが良さそう。

Posted by BB at 2013/08/13 21:01
Category : diary

 
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